回顧建築家丸山欣也的「形態劇場」:從自力營造的誤讀談起
日本建築團體「動物園工作室」(Team Zoo)當中的「Atelier Mobile」由知名建築師丸山欣也先生成立,他的作品及設計理念被集結於名為「形態劇場」(かたちの劇場)的一書之中。此書出版後,隨即在建築界引起了廣泛的討論。作者饗庭伸(Shin Aiba)在推特(Twitter)上發表感想,將這本書歸類為「自力營造」的範疇。孰料此言一出,竟被其賢內助指正,直言:「這本書根本不是在談自力營造,你完全搞錯重點了!」這一席話,讓作者重新思考了自己對於這本書的解讀,以及自己對於丸山欣也先生設計理念的理解,而這段反思的過程,也成為了此篇文章的開端。而這本書的出版,也讓作者重新審視了自己在建築界的定位,以及自己與丸山欣也先生的淵源。
丸山欣也先生の「かたちの劇場」、ツイッターで「セルフビルドの本である」とつぶやいたら、それをみた賢妻から「セルフビルドの本じゃないわよ。あんた全然分かってないわねえ」とつっこまれました。

從淡路島的實構築到「久住章的招待所 」:丸山欣也設計哲學的薰陶
在新書「形態劇場」(かたちの劇場)的發表會上,幾位在都市計畫領域頗有淵源的前輩們(他們都是吉阪隆正研究室的資深學長),見到作者時,皆驚訝地問道:「原來你是丸山學派的啊!」這才讓作者開始回想起自己與丸山學派的淵源。這段淵源,要回溯到作者大學四年級的時候,當時的畢業設計課程,是由丸山欣也先生擔任指導老師。
在課程中,丸山先生直接將作者送往淡路島,並要求他在當地親手建造一座竹製的穹頂建築。這段在淡路島篳路藍縷的實構築經驗,也開啟了作者與日本知名泥水匠(左官)久住章先生的緣分。後來,作者更在久住章先生的邀請下,與他共同打造了「久住章的招待所」(久住章のゲストハウス|GUEST HOUSE)。這段經歷,也讓作者對於建築的理解,產生了莫大的影響,也讓作者對於建築的設計與營造,有了更深的體悟。這段經歷,也成為了作者日後從事建築設計工作的重要養分,也讓作者在建築界中,走出了屬於自己的一條路。而這段歷程,也讓作者對於建築的本質有了更深入的思考,進而影響了他的設計理念與作品風格。
そうか、そういえばそうだな、と考え直したので、ここに書いておきます。
出版パーティで、都市計画の方面で面識のあった幾人かの方々(吉阪研の大先輩がた)に、「お前は丸山スクールだったのか」と驚かれました。饗庭の丸山スクールとのなれそめですが、大学4年生の時の共同設計のユニットマスターが丸山先生で、その場で淡路島に送り込まれ、竹のドームを自力建設で作りました。淡路でお世話になったのが左官の久住章さんで、その後久住さんにお話をいただいて「久住章のゲストハウス」と作った、というなれそめです。

都市計畫與建築設計的雙重奏:從真野地區到淡路島的探索之旅
自大學研究所時期開始,作者饗庭伸便將學術重心轉向了都市計畫領域,也因此逐漸淡出了建築設計的舞台。儘管如此,這兩條道路並非全然分道揚鑣。在阪神大地震發生之前,饗庭伸曾在神戶的真野地區進行關於地方營造(まちづくり)的調查,這段時間,他仍與建築設計保持著某種微妙的聯繫。在結束了真野地區的調查工作後,他前往了淡路島,在那裡親自動手、一磚一瓦地建造房屋。當時,都市計畫與建築設計這兩條道路,就像是並行的軌道,看似獨立,卻又彼此相連。然而,隨著時間的推移,他終究還是在建築設計的道路上漸行漸遠。也因著這般緣故,那段打造「久住章的招待所」(久住章のゲストハウス)的往事,以及這段經歷與都市計畫之間的關聯,始終沒有辦法被梳理出清晰的脈絡,如同沒有收束的伏筆,留待日後細細思量。
丸山欣也「形態劇場」的啟發:從「自力營造論」過渡到「造形論」的設計思維
在夫人的提點下,饗庭伸再次翻開了丸山欣也先生的著作「形態劇場」(かたちの劇場),這才恍然大悟,原來這本書的核心,並非其先前所認知的「自力營造論」(セルフビルド論),而是在談論「造形論」。所謂的「自力營造論」,代表性的建築家有石山修武先生,以及曾在建築雜誌座談會中出現的秋山東一先生,這些人的理論與實踐,皆與某種建築生產系統相關,例如:建材的供應系統、開放式建築(オープンビルディング)的設計理論等。
相較之下,丸山欣也先生的建築哲學,更專注於形態本身的追尋,可說是心無旁骛、專注一境。若要更精確地形容,饗庭伸認為,石山修武先生的「幻庵」固然在造形上也是出類拔萃,但若大膽地用比喻來說明,丸山欣也先生,則可被視為將「幻庵」去除掉川井健二的設計元素後,將剩下的精髓發揚光大,這就是丸山欣也先生在建築界的獨到之處,也是他對於建築的獨特貢獻。
饗庭は大学院からは都市計画を勉強していたので、建築の設計からは次第にフェイドアウトしてしまいました。二つの道は、震災前の神戸の真野地区でまちづくりの調査をした後に、淡路島に行ってセルフビルドで建物を造っていた、という感じでしばらくは両立していたのですが、やがてフェイドアウトしていってしまいました。そんなことで、ゲストハウスをつくっていたことと、都市計画の関係はあまりきれいな決着がついていないままなのです。
さて、妻のコメントをふまえて、もう一度「かたちの劇場」を読み返してみると、これは確かに「造形論」であって、「セルフビルド論」ではないことに気づきました。セルフビルド論というと、例えば石山修武先生とか、今回の建築雑誌の座談会に出ていただいた秋山東一先生の取り組みや議論になっていくわけですが、これらの取り組みが、部材の供給システム、オープンビルディング論のように何らかの生産システムの議論に展開していくのに対し、丸山先生の取り組みはひたすらかたちを追求します。石山先生の幻庵は、造形的にもすごい作品だと思いますが、乱暴な言い方をすれば、幻庵から川井健二的なものを引いて残ったものを極めていったのが丸山先生ということになるのかな、と思います。
回顧淡路島建築實驗:「久住章的招待所」的設計初衷與建造過程
回想起當年參與「久住章的招待所」(久住章のゲストハウス)的建造過程,作者饗庭伸重新審視了當時的設計初衷。那時,他們唯一的依歸,便是來自於委託人,同時也是日本知名泥水匠(左官)久住章先生所提出的一句話:「給我做出個有趣的東西來!」這句話猶如一盞指路明燈,引領著他們的設計方向。
於是,在沒有任何的預設之下,饗庭伸與團隊成員們,便開始了這段充滿挑戰與未知的建築旅程。他們大膽地採用了有別於傳統建築的材料與工法,並致力於追求令人眼睛一亮、別出心裁的建築造型。這個招待所,使用了常見於施工現場的鷹架用圓木(足場丸太)、浪板(波板),以及日本傳統的土牆(土壁)等建材構成,這些材料的選用,不只是為了要讓這座建築物與眾不同,同時也呼應了久住章先生的個人風格與喜好。
設計的本質與建造的動力:從「形態劇場」到「久住章的招待所」的十五年感悟
儘管在建造「久住章的招待所」時,使用了鷹架圓木(足場丸太)等建材,但當時的他們,並未對這些材料的運用進行更深一層的思考,也並未對工業製品系統的相關議題有任何著墨。一切都只是為了要做出「有趣的東西」,這也讓這座建築物的設計與建造過程,產生了更多即興創作的成分,也讓這座建築物呈現出獨特的樣貌。
就這個層面而言,大學四年級時在丸山欣也設計工作室(丸山スタジオ)所培養出的設計熱忱與初衷,確確實實地延續到了「久住章的招待所」(久住章のゲストハウス)的建造之中。在事隔十五年之後,作者這才終於對此有所領悟,並在反思中獲得了新的啟發。這段寶貴的設計與建造經驗,也成為了作者日後從事建築設計工作的重要養分,也讓他在這條路上,能走得更遠、更穩。而「久住章的招待所」也成為了作者建築生涯中的重要里程碑,更成為了當地的重要地標,每年都吸引不少建築迷前往朝聖,感受這座建築物的獨特魅力,也讓這座招待所成為了當地觀光的重要資源。
饗庭自身の淡路の取り組みを思い返してみると、「久住章のゲストハウス」の時に拠り所にしていたのは、「おもろいもん作ってくれや」という久住さんのオーダーだけであり、ただびっくりするような面白い造形を目指していただけでした。あれは足場丸太とプラスチックの波板と土壁で出来ているわけですが、それは材料として制約条件をもうけていただけで(久住さんのリクエストでもあったのですが)、丸太をどうしようとか、工業製品システムについて何かを考えていたわけではありませんでした。
そういう意味で、4年生時の丸山スタジオで作られたモチベーションがそのままゲストハウスにつながっていたわけで、なるほどなあ、と15年たって得心した次第です。
丸山欣也「形態劇場」的核心:以「造形論」為名,行建築趣味之實
丸山欣也先生的「形態劇場」(かたちの劇場),這本書籍無疑是一本徹頭徹尾的「造形論」。這本書籍,為讀者們展示了丸山欣也先生對於建築形態的獨到見解。然而,若要將「造形論」與「自力營造論」(セルフビルド論)相互連結,那麼根據作者饗庭伸在建造「久住章的招待所」(久住章のゲストハウス)時的經驗,當天馬行空、造型獨特的建築物,以真實的尺寸在人們眼前拔地而起時,那種震撼人心的畫面,著實令人感到血脈賁張。而這也讓作者開始思考建築的本質,以及建築與人的關係。「形態劇場」這本書,也讓作者開始思考建築的設計理念,以及建築的建造過程。
喚醒人們對於形態的原始渴望:從「形態劇場」反思當代建築的營造現場
「以形態讓人在感官上感到驚艷」,這件事情,在當今的「自力營造」(セルフビルド)實踐中,似乎是較為缺乏的一環。作者饗庭伸認為,當今的建築界,似乎過度執著於有效率的建造流程,而忽略了建築的本質。舉例來說,那謎團重重的古代埃及金字塔,究竟是何人、如何建造的?至今仍眾說紛紜。然而,不管是設計者還是施工人員,在建造的過程中,想必都因為自己正在創造出前無古人的偉大建築,而感到無比的興奮。這種對於「形態」的原始渴望,以及近乎本能的興奮感,在當今的建築營造現場中,似乎已不復見。
作者饗庭伸也開始反思,在當今的建築營造現場,是否應該要重新喚起人們對於「形態」的感知能力,並鼓勵人們更積極地參與建築的設計與建造過程,進而讓建築更具有生命力,也更具有人性。而「形態劇場」(かたちの劇場)這本書,也讓作者重新思考了建築的本質,以及建築與人的關係。這本書,也讓作者開始思考建築的設計理念,以及建築的建造過程,讓建築不再只是冰冷的結構,而是能讓人們感到興奮與感動的藝術作品。
さて、ということで「かたちの劇場」は、面白い形を作ってしまおう、というまぎれもない「造形論」です。しかし、「造形論」と「セルフビルド論」を架橋するとすれば、ゲストハウスでの経験からすると、造形的に面白いものが実寸で立ち上がると、単純に興奮します。この「かたちで人々を興奮させる」ことは、意外と現在のセルフビルドの取り組みにかけていることのかな、と思いました。例えば、古代エジプトのピラミッド、誰がどうやって作ったのかは謎なわけですが、あれを作っている人は、設計者であれ労働者であれ、つくりながら「すげえのが出来るぞ」と興奮をしていたのだと思うのです。こういった「形に対して、人間が原始的にもっているであろう感覚」を刺激し、なかば動物的に興奮させる、ということは、もうちょっと今の建築をつくる現場にあってもいいのかな、と考えました。
後記:久住章的「ゲストハウス」已經於2009年拆除
青春記憶的消逝──久住章的「ゲストハウス」
在這個博客中,經常有人以「久住章的ゲストハウス」為關鍵詞搜尋而來。這座建築,是我在大學時期約十五年前參與的作品,當時和另外六名夥伴共同完成。大家現今都在各自的領域努力工作,回憶起那段日子,仍然充滿濃烈的青春氣息。
然而,對於關心久住章ゲストハウス的人(包括我在內),卻有個令人心痛的消息:這座建築在去年年底被拆除了。一位當年與我一同建造這座建築的夥伴特地前去拍攝拆除的現場照片,並將影像寄給了我——衷心感謝他的用心。然而,看到自己曾付出心血的建築被摧毀,那種感受無疑令人五味雜陳。
無法告別的遺憾與深沉的悲傷
這座ゲストハウス的拆除對我來說是一個無法現場道別的遺憾。由於繁忙的日程,我未能親眼目睹它最後的模樣,只能從照片中遙想當年的點點滴滴。當建築物不再僅僅是冷冰冰的構造,而成為青春與回憶的載體時,它的消逝便如同一段歷史的終結。我想,這種悲傷或許只有真正參與建造過的人才能體會到吧。